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ランドローバーの「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」 ウクライナを去り、ロシアへ

公開日:2012/03/29 20:03

※本プレスリリースはジャガー・ランドローバー社が2012年3月23日に発表したプレスリリースの日本語訳です。

2012年3月29日
(日本語訳発行日)



ランドローバーの「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」
ウクライナを去り、ロシアへ


2012年3月23日
国際赤十字・赤新月社連盟への寄付金100万ポンドを集めるため「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」は、バーミンガムから北京まで8,000マイルの道のりを冒険していきます。毎週、道中さまざまなユニークな話をご紹介いたします。

今週の「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」はミニチュアの世界を飛びだし、スケールが飛躍的に大きくなりました。全長3.5ミリの精巧な船はすでに跡形もなく、次に向かうのは巨大な潜水艦格納施設です。ウクライナの港町バラクラヴァは、かつてソ連の黒海艦隊に所属する潜水艦の秘密基地でした。ここは冷戦時代を物語る、圧倒的な規模を誇る過去の遺産なのです。

クリミア半島にあるこの潜水艦基地は、核兵器の直撃にも耐えられ、3,000人が避難して1か月生活できる核シェルターでもありました。現在は当時の様子を伝える博物館も開設されています。「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」のチームは特別に許可を得て、秘密基地の内部を走行することができました。ランドローバーの強力なヘッドライトが照らすトンネルは、真っ暗な洞窟のようです。かつてここには、全長90メートルを超え、世界を滅亡させる恐怖の核兵器を搭載した潜水艦が何隻も収容されていました。

1957年に地図上から消えたバラクラヴァの存在が、再び世の中の知られるようになったのは1992年のこと。これほど大規模な秘密基地がそのままの形で現存していることは驚きでした。冷戦時代には厳重な秘密のベールでおおわれていたはずですが、「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」がそのなかを自由に走れることに時代の変化を感じます。かつては潜水艦が停泊していたバラクラヴァの港も、いまは世界各地からやってきた高級ヨットが陽光を浴びていました。

地下の秘密基地を後にした「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」のチームは、今度はソ連時代の自動車の歴史に触れるためにトゥーラの町をめざします。

旧ソ連の自動車史を伝えるその場所は、深い雪に覆われ、舗装されていない長い道路の先にありました。もちろんディスカバリーはそんな悪路もものともせずに進みます。ここにあるのは、ミハイル・クラシネツ氏が集めた旧ソ連時代の自動車コレクション。大衆向けとはいえ個人で持つのはなかなか難しかったモスクヴィッチ1,500から、共産党最高幹部しか乗れなかったGAZ製チャイカまで約300台が並んでいます。

ファクトリードライバーとしてラリーに参戦し、モスクヴィッチのテストドライバーも務めていたクラシネツのコレクションは、博物館の展示物と呼べるコンディションではありませんが、旧ソ連の自動車事情を垣間見ることができる貴重な場所です。並んでいる自動車は質素でシンプルなものばかりで、快適で洗練された
「ディスカバリー」とは隔世の感があります。帰り道にふたたび悪路を走っているとき、「ディスカバリー」の高い性能と乗り心地をあらためて実感しました。

トゥーラは、名作『戦争と平和』を書いたレフ・トルストイの生まれ故郷としても知られています。ここを出発する前に、「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」は町いちばんのパン屋に立ち寄りました。名物は甘くてずっしりと重い、ジンジャーブレッドです。レシピは門外不出で、バラクラヴァの潜水艦基地も顔負けの秘密のベールで包まれています。北京をめざす8,000マイルの長旅では、疲れを癒す格好のおやつでした。

次の目的地はモスクワです。ロシアの首都を見物し、地元のアーティストと交流して、サウナも体験します。もちろん移動サウナです。「ジャーニー・オブ・ディスカバリー」はまだまだ続きますが、トランクいっぱいのジンジャーブレッドがあれば、空腹に悩まされることはないでしょう。

私たちの旅をぜひご覧になり、目標達成にご協力ください。
詳しくは www.landrover.com/millionで

以上


読者からの問い合わせ先:
ランドローバーコール(フリーダイヤル)0120-18-5568

この件に関する報道関係者からの問い合わせ先:
ジャガー・ランドローバー・ジャパン マーケティング・広報部 03-5470-4242

広報写真はジャガー・ランドローバー・ジャパン プレスサイトを
ご利用ください
https://pr.jlrj.jp/

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