※本プレスリリースはジャガー・ランドローバー社が2012年4月12日に発表したプレスリリースの日本語訳です。
2012年4月16日
(日本語訳発行日)
L12U006
2012年4月12日
アラル海の岸辺から何キロも離れた泥地に、風雨にさらされたままの廃船が埋まっていました。つい最近まで、ここが本来の海岸線だったのです。ジャーニー・オブ・ディスカバリーは、ここに新しい生命を蘇らせようとする漁師たちと出会いました。
ウズベキスタンのモイナクは、ウズベキスタンとカザフスタンにまたがる、いまはみすぼらしくなってしまったアラル海に面する港町として繁栄していました。
モイナクの運命はアラル海とともにありました。かつては世界で4番目に大きな、6万8,000平方キロもの広さを誇った内海がいまは見る影もありません。ソビエト時代の1960年代、アラル海に流れこむ河川の水で、周辺の綿栽培地帯を灌漑する大規模な工事が行なわれました。この事業によって、アラル海の海岸線は少しずつ、しかし着実に後退してしまい、二度と戻ることはありませんでした。
500万年前に誕生したとされる広大な海は、いまでは水が減ってわずかに10分の1の面積になってしまいました。アラル海再生のための議論は盛んに行なわれていますが、ウズベキスタンだけでなく国際社会がどれだけ強い意志を持ち、巨額の費用を投じたとしても、元の姿に戻すことは困難です。
アラル海周辺の平原地帯には、強力な農薬が大量にまかれてきました。また海に浮かんでいた島も、水が干あがったために陸地とつながり、ソ連はそこを生物兵器の実験場にしていました。
いまアラル海とその周囲では凄まじい規模で砂漠化が進行しています。しかし地元では、その流れを何とかして食いとめようとする動きも出てきました。
モイナクに残る数少ない漁業関係者にとって、状況は困難を極めます。海岸線の後退が始まったころは、地域の漁業を支えるために、よそから魚を買いいれて缶詰工場を稼働させていました。使われなくなった漁船は、金属部分だけ再利用して缶詰の缶の材料にされました。
いまではその缶詰工場も廃業しています。昔は水深30メートルの海底だった地面をゆっくりと走っていると、錆ついた漁船の残骸がいくつも放置されている寒々しい風景が飛びこんできます。水が引いてしまったために、大きい漁船はもう身動きが取れないのです。
豊かな恵みをもたらしてくれた海は姿を消しましたが、その先に小さな湖が残っていました。そこでは逆境に負けない漁師たちが、凍えるような寒風のなかで魚をとっています。網を曳くのはたった1頭のロバで、装備も最小限です。1時間懸命に作業して、とれる魚はバケツにたった2杯。しかし意外なことに、この魚は食用ではありません。
「ここよりも状態が良い場所に持っていって、そこで放流するのです。」
と漁師のディリシャット・ウスポフは作業の手を休めて話してくれました。水際には古ぼけたタンクローリーが停まっています。彼はそこによじのぼり、蓋を開けて、なかを見るように言いました。タンクの上からのぞくと、そこにはあふれんばかりの魚が勢いよくはねていました。
単純な試みですが、すっかり破壊されてしまった地元の環境と経済を何とか修復したいという気持ちをひしひしと感じます。
「海があったころ、ここは大きな港でずいぶんにぎわっていました。いまは海岸線が30キロも遠くになってしまいました。海が消えたら、生活も消えてしまいました。」
ウスポフは哀切な表情を浮かべ、話します。
アラル海はこれからどうなるのでしょう。その問いに対するウスポフの答えは、信じがたいものでした。地元のほかの人々も同じ事を言っていたため、なおさらでした。
「何百万年もかけて自然がつくりだした海は、自然にしか元に戻すことはできないのです。」
アラル海を干あがらせたのは、大規模な灌漑工事のはずです。ウスポフたちがその事実を知らないとは信じられません。しかしこれほど辺鄙な土地になると、外界からの情報は入ってこないに等しいのです。
わずかな魚をとるために重い足どりで塩湖に戻っていくウスポフに、真実を告げることはできませんでした。彼らの苦境をつくりだしたのは自然ではなく人間です。自然の力が問題をできるという望みは、ごくわずかなものなのです。
私たちの旅をぜひご覧になり、目標達成にご協力ください。
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